4月23日放送のフジテレビ『Love music』
小沢健二ファンの方々はきっと、
心待ちにしてらっしゃるのではないでしょうか?
2月20日、
音楽ナタリーの特集ページで行われた、
Twitter連動型のリアルタイムチャットで、
小沢さん本人から飛び出した告知。
あ、あと岡崎京子ファンは
岡崎ファンは、ご期待ください!
テレビの一つです
このチャットではのっけから、
19年ぶりのシングル、
【流動体について】のリリース発表というサプライズがあり、
ファン騒然だったのですが、
終了間際のこの発言でまた大興奮!
「テレビの一つって、なにー?!」となっていたのですが、
のちにこの発言が、
4月23日の【Love music】を指すのだということ、
そしてそこで、
小沢さんは岡崎京子先生のマンガに囲まれたセットで、
楽曲を披露するのだということが分りました。
1990年代渋谷系文化の中心的存在であり、
現在もファンを惹きつけてやまない、
小沢健二さん。
そんな彼が大切なステージセットに選んだ作品群。
その作品群を描かれた岡崎京子先生とは、
どんな方なのか・・・
チェックしてみましょう。
(主な内容)
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岡崎京子 プロフィール
岡崎京子 プロフィール | |
ペンネーム | 岡崎京子 |
本名 | ― |
生年月日 | 1963年12月13日 |
血液型 | B型 |
身長 | 150cm前半? |
学歴 | 跡見学園女子大学短期大学生活芸術科 卒 |
出身 | 東京都世田谷区下北沢 |
デビュー作 | 1983年「漫画ブリッコ」(白夜書房)でデビュー |
主な作品 |
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元アシスタント | 安野モヨコ、よしもとよしもと、マユタン、千里唱子、坂本大三郎、工藤キキ |
親友 |
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備考 |
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※2017年4月現在
岡崎京子先生は、
下北沢の理髪店の娘として生まれ、
お店に置いてあった週刊新潮や週刊朝日など、
大人の雑誌を読みながら育ちました。
・・・ってか、
めっちゃ大人な雑誌ですよねww
そして高校時代から投稿雑誌、
「ポンプ」等にイラストや漫画を頻繁に投稿。
表紙を飾ったこともあるそうです。
(※ちなみに「ポンプ」の創刊者で初代編集長の橘川幸夫氏は、
渋谷陽一氏らとともにロッキング・オンを創刊した人物とのこと!)
そして1983年に漫画家としてデビューし、
1980年代~90年代にかけて主に活躍した、
岡崎京子先生。
最近あまり作品を見かけないな・・・
と思ったら、
実はかなり前に、
大きな事故に遭っていたんですね・・・
岡崎京子の事故とは?
岡崎京子先生は1996年5月、
自宅付近を散歩中に、
飲酒運転の4WD車によるひき逃げ事故に遭われました。
緊急手術をするも、
半年あまり意識不明の状態が続き・・・
その後意識は回復したのですが、
事故時に負った重傷のため現在も長期療養中であり、
創作は休止中なのです。
岡崎京子先生が不慮の事故に遭われてしまった1996年5月は、
代表作のひとつ【ヘルタースケルター】の連載終了直後。
まさに漫画家としての絶頂期であり、
また漫画にとどまらず、
作詞・PV出演などの音楽活動を始め、
エッセイ執筆・評論・テレビ出演等々、
文化にも多くの影響を与えている時期でした。
どうしてこんなことに・・・と、
悔やまれてなりません。
ですが。
筆者が悔やんだり悲しんだりうつむいている場合じゃないっ!
前を向いていきたいと思いますっ
岡崎京子の今現在は?
事故から半年が過ぎた頃、
意識不明の状態から脱した岡崎京子先生。
その後ご家族と多くの友人たちの強くあたたかいサポートのもと、
いま現在も日々リハビリを続けていらっしゃいます。
2002年頃には冗談に笑顔をみせ、
また海にお出掛けするまでに回復されたそうです。
そして2003年には事故直前に連載終了を迎えていた、
【ヘルタースケルター】単行本化にあたり、
先生自ら原稿チェックをされたのだとか。
力強く眩しいほどの生命力に筆者が元気を頂く気分です。
また2006年発行【秋の日は釣瓶落とし】の作者紹介では、
日々リハビリに励みつつご家族とチャンネル争いを繰り広げる、
和やかで笑いの絶えない日常が伝えられています。
2008年にはご家族と温泉巡りに行かれる等、
積極的に外出されるまでになられたそうです。
ご家族ご友人の方々の支えと、
なにより先生本人の日々の機能回復に対する、
たゆまぬ努力でここまでの回復につながったのでしょうね。
また2012年【ヘルタースケルター】実写化の際には、
作品に向けたご自身のコメントを弟さんを通して発表され、
そしてご家族とご友人の橘川幸夫さん、桜沢エリカ先生と共に、
試写を見に行かれています。
更に!
一昨年の2015年に世田谷で開かれた、
【岡崎京子展:戦場のガールズ・ライフ】では、
展示された数多くの作品の最後に、
先生自らが視覚操作型コンピュータで、
「ありがとう」と打ち込んだメッセージが掲示されました。
そして昨年2016年夏から開催された大阪での同展では、
同じ手法で先生が打ち込んだ、
「おおきに おおさかのみんな おこしいただき ありがとう」
昨年末から今年1月下旬まで開催された福岡での同展では、
「福岡のみんな おこしいただきありがとう ばりうれしか」
とのメッセージが掲示されました。
不慮の事故から21年経った現在、
岡崎先生はゆっくりと、
でも間違いなく確実に、
前を向いて進んでいらっしゃる。
筆者はそう感じています。
それでは次のページで、
気になる?
小沢健二さんとの関係について調べてみました。
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